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読経会 2009

第28回 読経会 9月30日

 参加者3名

 今日は、都合の悪くなった人がたくさん出てしまい、参加者が減りました。そこで、いつものように全部読みあげるのではなく、日常の勤行を中心に復讐をし、Tさんから、「一枚起請文」の中の「尼入道」について質問がありました。その説明から発展して、最後に「一紙小消息」の解釈を行いました。 
 最初の法話は、中野善英上人の「一味哲学三誓(一)」より、考えてみました。

「わがこころ 如来み心によりて霊化し この心清まり 
 この心の上に 神意開顕せんことを」

 お念仏を称えていると、み仏の清浄光に照らされて、感覚が美化されていきます。歓喜光によって感情が融合されていきます。私たちの感情は、ときにつれ、ものにつられて、揺れ動きます。しかしまた、雄大な景色や千年杉に囲まれた比叡山の飯室谷にいけば依身より依処と心が静まります。
 これらの感情が溶け合わされ、天地の恵みと一体となった感情が溢れてきます。これが融合です。さらには、み仏の智恵光によって智力が開示し、不断光によって意志が強まり霊化して、私たちの心が浄化されていきます。み仏は、このように私たちを導いてくださいます。
 私の心が清まることにより、はじめてみ仏の心に触れ、み仏の願いに応えることのできる私へと生まれ変わることができるのだと思います。このとき、「如来と偕に一人」の実感もわいてくるのだと思います。「この心清まり、この心の上に、神意開顕せんことを」と、
 ひたすらに、お念仏を続けてまいりたいものだと思います。

第27回 読経会 7月22日

 参加者6名

 今回は、三尊礼を丁寧に練習してから、経本を読みましたので15分延長してしまいました。一度も休むことなく、1時間以上声を出し続けるのですから、たいしたものです。落ち込んでいた気持ちも、お経をお唱えすると、すっきりします。
 お経を、木魚をたたきながらお唱えすると集中ができていい…。お経を唱えることが好きになりましたなどの感想が聞かれました。
 今回の法話、中野善英上人「常懺悔」より、

「ほおずきが赤くなると お盆が来る お盆が来ると 死んだ人まで かえってくるようにおもわれます。 津島は これから お盆で 街には 美しいほおずき売りが氾濫しております。 
ほおずきの 皮の中から のぞいている赤ん坊をみると 私たちの中から のぞいている 如来さまの お顔を みるようです。」

 お盆は、ご先祖を大切にしてきた日本人の、供養のこころを通して、仏様の教えに出会わせていただけるまたとない機会です。私たちと確実につながっているご先祖のいのち。そのつながりを心にとめていきたいものです。関谷上人は「天地の無量寿光を仰ぎ、この肉体がなくなっても なくなることのない大生命。永遠の生命に目覚めて、わが人生を供養布施できるよう祈ろう」と述べてみえます。

第26回読経会 6月24日

 参加者7名

 三尊礼の練習を最初にしました。つづいて経本の最初から最後まで一気に読み上げました。一時間。この集中力と持続力、なんともいえない気持ちの良いものです。終わった後の達成感もまた格別です。皆さん、すぐには立ち上がることなく、口々に感想を言い合っています。多くの人にぜひ体験していただきたい読経会です。
 さて、今回の法話は、中野善英上人遺墨集「一色一香」より、「人間磁石」。

「磁石は 横にしておいても 竪にしておいても 紙の下にかくしておいても 紙の下からひきつける。 そんな力を ドコに持っているのか。磁極から 磁力を得て 自分のカラダ全体を 磁力化したからです。人間も 自分を如来化したら 天地のすべての人をひきつける力がある。
 釈尊も『人間磁石』であった。」

 磁石の持っている力のように、人間もすべての人を引きつける磁石のような力を持ちたいものです。「自分を如来化すること」と善英上人はいわれます。お念仏しかありません。自分が如来になるのではなく、如来が私の中に入ってきてくれるのです。「心の眼でものを観る。心の耳で音を聞く。」私たちを迎え入れてくれる如来の声は、私たちのお念仏の声なのです。

第25回読経会 5月27日

 参加者6名

 法話15分の後、1時間ぶっとおしてお経の本全部を読経しました。日常勤行にプラスシテ、身心観文・一紙小消息・三尊礼(木魚)・阿弥陀経・歎佛頌・発願文・般若心経・舎利礼文を読経しました。25回積み重ねてきた大きな成果の一端だと思います。
 法話では、中野善英上人遺墨集より、

 「昔なつかしい お母さんの 夢をみた 夢の世界では お母さんは  いつも生きている いや今、『私となっているものが』お母さんにあって お母さんは 信仰の世界では 永久に働いておられる お母さんが、私で 私が、お母さん」

 私たちはご先祖の生命を受け継ぎ、私たちの生命が子や孫に受け継がれていきます。いやそれだけではありません。今、日本語支援にかかわっている中国人の子どもたちにも、私たちの生命は確実に受け継がれていくのだと思っています。
 私たちが死んでも、彼らが私たちを忘れることなく、私たちを受け継いで行ってくれる。その点では、私たちは日々、永遠の生命を得る営みを、積み重ねているといえるのではないでしょうか。尊いことだと思います。

第24回読経会 4月22日

午後7時30分より9時 参加者4名

 日常勤行式に加えて、身心観文、一紙小消息、三尊礼、歎仏偈、般若心経、舎利礼文をひととおり通しました。法話としては、中野善英上人遺墨集「和」より、

「天鼓自然鳴 時に至って 自然に法鼓鳴る天地間 総てのこと 自分の力だけで出来ることは、一つもありません。 眼に見えぬ大きな力が、順々に事々を成就さして行って下さる。 よきも 悪きも 笑っても 泣いても、皆この威神力の前に畏れ入って、踞拝すべきであります。」

をとりあげました。
 私たちは、自分の力だけで何ひとつすることはできません。空気も水も与えられたもの・・・。天の力、如来のみ恵、み力、おかげによって、生かされているのです。しかし私たちは、このことになかなか気づくことができません。「天地は一心一体一生命活動なり
 大念仏の唱道をとおしてこそ、生かされているこの身に、気づくことができるのではないでしょうか。

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